肩こりしながら書いています

毎回おんなじことばっかいってる

インテリアのむずさについて

かんばってやってもそれなりになってしまうし、

あんまりがむしゃらに労力を注ぎ込んでも成果が出ないもの

第二位がインテリアだ。ちなみに一位は料理。

 

引っ越したばかりで現在部屋の家具や小物に悩んでいる。

インテリアってかなりむずい。

 

まず資金が要る、サイズ感も大事だし、

配色や系統、スタイルを揃えたりしないといけない。

デザインも重視したいけど、実用的なものがいい。

 

加えて絵だったり、小物だったり

たくさん飾ったり賑やかにしたいけど

置けばいいもんでもなく。

雑多に見えちゃったりするし、でも何も無いとなーんか締まらない。

 

おしゃれにしたいって思って気を払っても

最終的には、どこがミスっているのかさえわからない

ぼんやりした部屋になる。それが私の家。

 

すでに新居もこの〝ぼんやり〟段階まで到達してしまっているので

まあまあ諦めてはいるが、最後に一つ、

洋服を入れる収納を買いたいと思っていて、悩ましい。

 

別に収納できればいいし、拘らなければ安価でいいものなんてたくさんある。

いや、てか洋服断捨離しなよ??という

私の心の中のミニマリストが突如現れたりもする。

失せな!収納は買う、ゼッタイにな!

 

そうして今日もネットの海をサーフィンして

ああでもないこうでもないという時間を楽しみます。

ほんとうはどうなの

今週のお題「サボる」

 

サボったことなんかないもん。

学校も仕事もサボったこと、ない。

 

でもそれは私が勝手に思っていることで、

風邪で休んだけどほんとはギリ出社できるのでは?とか

ブログも毎日書けよ書けるだろとか、本当は心の奥底どこかであるんだけど。

 

でも〝サボり〟にならないように何かと理由をつけて

日々、戦っているのであーる。

面倒な女

ひとは、一人で生きていくことはできない。

というようなことをよく聞く。まあ、そうなんだと思う。

 

でも一人で生きていく方が誰にも迷惑をかけないよなとも、思うときがあるよね。

 

そんな重たくて暗いことを

大体25歳くらいの時から気にし初めて5年くらい経ったけど、

最近結婚までしちゃって、その思いは強くなる一方だ。

な〜んでこんな女になってしまったのか。

 

多分、喧嘩の際。自分の性格や態度が、思うようにコントロールできないからである。

人に迷惑をかけちゃってるのを自分でわかっているのに、引っ込みがつかない。

※この場合の〝人〟というのは大体が彼氏だった。

私は家族や友人とは喧嘩しない。そこまで干渉しないから。

※〝迷惑〟というのは私は相手に文句を垂れることで

始まった言い争いは決着がつかず、終わりどころがないものが多い。

私が簡単には終わらせたくないからである。

 

こんな文字列だけ見てもめんどくさいんだから、

もう本当にいつも相手が可哀想に感じる。可哀想だけどとめらんない。

 

もっとこう…違う感じの性格になりたい。なりたい像はいまんとこ2つある。

①怒らない、朗らか、大体人のことは気にしてない。彼氏だろうがまあそんなに干渉しない。

②怒るけど相手が謝れば許して、自分の機嫌を直せる。大人だなあ。

 

まじで無理なの。自分に自信が無いせいだと思っているんだけど、

彼氏や夫のことは気になるし、軽く謝ったからって許されると思うな!!と厳しい。

だから先ほど書いたように、決着がつかず、終わりどころがない。

※ちなみに一晩寝たら大体機嫌は治る。

 

相手は謝罪を挟めば即刻いつも通りの機嫌に戻すことが可能な人間。素晴らしい。

だからこそ、こっちの面倒な性格が理解不能であろうし、

そんな素晴らしい彼を見て私も自分が嫌になる。かなり扱いづらい人材。

 

だらだら書いたけど、この性格を治せないんなら、

まじで人と生きていくのなんて到底むずいのでは?

ましてや同居なんてもう完全に不適合者じゃんお疲れ様…。と心底思う。

こんな女、面倒くさくて、私が彼ならノーセンキューな人材。まじで嫌。

 

先ほど自信がないと書いたけど、

こんな女嫌だわ→自信ない→心配で彼に干渉→粗が気になる→怒る→こんな怒る女嫌だわ

の魔の無限ループであることまでは自覚している。

 

で、こんなことだれにも相談できない。

相談したって『そんなことないよ〜、考えすぎ!』や

『みんなそんなもんだよ!』等、相談相手に気遣わせるか

もしくはもうやっぱその腐れ根性治すしかないね。という結論になる。

自分でどうにかするほかないんだから。

 

ちょっとまた考えよ。

頭痛くなってきた。多分冷房に当たりすぎなだけだけどさ〜。

写真でどう思うか

昨日写真を撮りました。

なんの写真かと言いますと、

最近結婚したので、写真スタジオで和装での写真を撮りました。

俗に言う前撮りというやつです。

 

場所は前述の通りスタジオで撮ってもらいましたが、

人気は思い出のスポットや式場の庭園なんかの

外で撮るやつみたいです。

緑いっぱいの背景、あるいは海辺で、キラキラ二人が笑い合い、ちょっとふざけたり、

顔を寄せ合って照れながら撮ったり、あの感じ。羨ましいです。

 

羨ましい私がなぜスタジオなのかというと

今回、自分の結婚の写真を見せたいのは親

親に夫とのそんな写真恥ずかしくて見せらんない

え?待って、私も自分のその写真いらんわ

 

という気持ちに辿り着き、スタジオでサッと撮ってもらいました。

機会があればキラキラ写真も撮りたいな。

 

〝多分ない〟

 

ただ、もう一つスタジオで撮りたかった理由があるのです。

ザ・結婚したよ〜みたいな、あの写真!!が撮りたかったんです。

わかりますでしょうか。

 

大正〜昭和の時代からあるような…スタジオというかもはや写真館で…

妻が椅子に腰掛け夫は左側に立って撮る、あれです。

背景なんかもちろん白。シンプルイズベストオブベスト。

 

その写真が撮りたくて、念願叶いました。おめでとうわたし。

そんなわけで着々と結婚していってるんですけど、(?)

ほんと将来が心配ですね。

 

自分が働いていないとこんなに毎日心配なのかと思いますね。

そりゃ相手の月給が少ないからとか、大変失礼ですが、関係あると思うのですが

ほんと毎日生きている実感があまり湧かないんですね。

 

働いていた時代がなちぃですわ。

今あの頃を思うと、うわ〜生きてるねえ。と思いますね。

多分、給料があると、【社会から一応、認識されてますよ。】感得られて

必然的に生きてるって思えるんでしょうね。

それもそんなに好きな仕事ではなかったので、

いい意味で生きてる!!って感じではないですけどね。

 

まあまだ働く目処が立っていないので、

それまではなにか生きてる実感湧くように過ごしましょうね。

まだ退職から一ヶ月も経ってないんですから、よろしく自分。

 

 

とりあえず!!!!

今まで生きてきたよ〜っていう証みたいなのは

昨日撮った結婚の写真でなんとなく証明できたから、

これから、これからですね。

 

写真できたら、おばあちゃんにも見せよー。ピース

刹那的食べ物

今週のお題「好きなアイス」

 

好きなアイスは一つに絞れない。

王道ハーゲンダッツのイチゴ、

Pから始まるパナップパピコピノの三兄弟。

夏はさっぱりスイカバーが欲しくなるし、

冬は雪見だいふくをゆっくり食べるのが好きだ。

 

逆に嫌いなアイスとか、無い。

嫌いなとこはあるよ、溶けちゃうところ。

急かされているようで、ちょっとストレスだ。(大袈裟)

でもそれがいいのかも。刹那的で。

それでより美味しく感じている可能性あり。

どうだか、知らないけど。

お金の話だった

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

 

私にとってインターネットはパソコンとかスマホ

それで何か調べたり、動画を見たり。

 

初めてパソコンを触ったのは小学校の授業中、

教室で、先生が言った。

【では、ヤフーを開いてください】と。

 

ご機嫌なワード。ヤフー。Yahoo !

びっくりマークまでついているし。なんやそれ。

しかもこれ、“やほー”だよ!間違ってる、先生。

家にパソコンの無い私はその日初めてパソコンに触れ、

そんなことを考えながら先生の読み方にずっとモヤモヤしていた。

何年後かにナイツ塙の漫才を見た時は、そんな小学生時代を思い出して

エモくて笑えなかった。

 

私にとってインターネットといえば、

パソコンとかスマホで調べたり、動画を見たり、というイメージ。

 

現在30歳で自分のMacBookを持ち、毎日ネトフリ三昧の生活は

自分の労働と時代の流れの集大成感がすごい。

でも、同時にこれがピークな気がしていてなんとなく怖い。

 

 

 

いや今、漠然とピークという言葉が浮かんだけど、どういうことだろう。

 

科学の進歩でいまやパソコン、スマホは一人一台が当たり前の世界になった。

でもお金がないと、買えないものはいつまでも買えない。

このパソコンは、新卒から働いた会社を退職するご褒美で買ったけど、

これからもどんどん発達していくであろう文明の利器みたいなんを、

享受できるお金は、この先のその時々、あるのかしら。

 

さっきご褒美と言ったけど、この先増えないであろう自分のお金を使っとくなら

今しかないと思って、辞める前に手に入れたのだ。

 

ああ、なんと、【ピーク】は自分のお金のピークのことだった。

 

よく考えれば、インターネットはお金がかかる。当たり前のことだ。

パソコンやスマホタブレット、さらにネット使用料。

子供の頃に家にパソコンがなかったのは、

単に必要無かったからとか、母親の機械音痴のせいだけではない。

金銭の余裕の有無が大きく関わっていただろう。世知辛い。

 

実はインターネットが使えるのはすごいことなんだ。

お金があって、パソコンが買えて、通信量が支払えるってことだもん。 

これからも快適なインターネット生活が送れるようにしたいね。

 

 

 

バンドマンに対して

普段の生活において、全くそんな感じを出していないけど

実は2年に一回くらいの頻度で、バンドマンに惹かれる。

気になるバンドができる。

 

特に、まだ日の目を見ていないバンド。大体自分より年下。

ボーカルが真面目そうな。ライブでフー!!!!!と弾けるよりも

イエーイ!と頑張って言ってる感じ。伝わります?

さらに心はアツい系。Instagramに詩的な文章を書いたりする。

 

夢を追いかけていて、売れたいんだろうなって、輝いていて。

もう大体素敵に見える。

※どのバンドか例は出せない。失礼に値しそうだから。

 

そういうバンドが気になる時。

気分は自分の、大学生くらいの年代に戻る。

 

自分の人生の中では、大学時代が特殊だった。

授業、飲み会、サークル、友達の先輩、マンモス大学で雑多、

 

苦手な男性とつるまないといけない時間が人生のうちもっとも長かった気がする。

更に自分のことも生き方も今より全然分かっておらず、

断り下手で、何かいい出会いの機会を逃す不安もあったせいである。

 

ただそんななかに一輪か二輪くらい、咲く花がいた!あの感じを思い出す。

なんか気になる、嫌じゃない、興味ある。むしろちょっと謎に応援(?)してる。

好きとかまだそのレベルじゃなくて。まあ好きなんだろうけど。

その花こそ、現在のバンドマンと大体同じくらいの感覚と同等。

懐かしいけど戻れない感じも含めて、私にとって大学時代の青春を表してる。

 

社会人になって、さっぱりした女性だらけの会社に勤めたので、

その雑多な中で暮らすストレスはほぼ皆無になった。

だから忘れて暮らしてたけど、

一年に一回くらいそういうバンドにYoutubeかなんかで偶然出会うと

若い時の向上心、野心みたいなのまで思い出す。良いねえ。

 

映画や小説みたいな、ストーリーのあるもの、とちょっと違う、

音楽は、自分の気持ちをダイレクト書いててたり、ライブがあったり。

その人自身の人生への熱が伝わってきやすい気がするから、

わたしにとってはかなり、感化されやすい媒体だ。

 

色々書いたけど、好きなものがある、ハマってる曲がある、

もはや何かが気になるものがあるだけで、

生き生きしてる気がして気分いいなーと思う。今日このごろ。